ふわっと優しい心地よさの中にある、しなやかな強さを知る。今治のタオルの歴史と魅力 Vol.2 丹後
「約30年以上前ですが、私たちの子ども時代、今治はとても栄えていて、商店街もにぎわっていたんですよ」
そう話すのは、大人の女性を中心に人気のタオルを作る「丹後」の代表取締役、丹後博文さん。今治は古くからタオルと造船とともに発展してきた街。なかでもタオルは、500社以上あったそうです。取締役の丹後佳代さんは、物心ついた頃から家の前に撚糸工場があり、仕事をする職人さんの姿をいつも見ていたとか。「撚糸工場の朝は5時くらいから始まるんです。機械の音が今も印象に残っています」。その後、大学進学をきっかけに一度は今治を離れたおふたりですが、再び今治に住み、タオルづくりに携わることになります。その歴史は、二人がお世話になった人たちへの熱い感謝の想いがあふれていました。
始まりは、「地元の人たちに恩返しをしたい」という思い
今治で生まれ育った博文さんと佳代さん。高校を卒業後はそれぞれ県外の大学へ進学したそうです。
博文さん:そのまま県外で就職しようと思っていました。でも、大学4年生の時に父親が倒れて。卒業後、今治に戻って、父が代表だった保険会社を継ぎました。
佳代さん:大学卒業後は兵庫県で学校の先生になりました。そこで地域の人たちにすごく助けられたんですよ。「これ炊いたけん」「採れたけん」って、食べ物をおすそ分けしてもらったり。そこで、地域とともに生きていくことを学びました。
おふたりが今治に戻った頃、今治のタオル産業が安い輸入品の影響で活気をなくしていた時代でした。保険のほか不動産の取り扱いも始め、事業は順調だったという博文さん。一方でタオル工場の廃業をとても身近に感じていたと言います。
博文:保険業と不動産業は地域ビジネスです。お客様あっての仕事ですから、廃業の相談を受ける度に「何かできることはないか」と考えました。でも当時は、「そうなんですか……。身体、気を付けてくださいね」くらいしか言えなくて、歯がゆい思いをしていました。いま引き継がせていただいたタオル工場は、以前にお世話になったお客様でした。大きな取引先が倒産して、売り上げが3分の1になった時に助けてくださったんです。
「地元の人に恩返しがしたい」と思っていた博文さん。廃業を決めた当時のタオル工場の社長に「うちに継がせてください」と申し出たと言います。
博文さん:最初は「そんな無謀なこと、やめときな」って言われました。すでに廃業の手続きが進んでいて、取引先も売上げもゼロ。でも、このタオル工場を立て直すことで世の中から注目されたら、今治のタオル産業全体の売上が上がるじゃないですか。そうしたら大きな恩返しになると思ったんです。今思うと、随分と甘い考えなんですけど(笑)。
雑誌主催のイベントに出店し、「伝える」「伝わる」の本質を実感
2015年にタオル工場を引き継いだ博文さんと佳代さん。工場に勤めていた職人さんの家を1軒1軒回ることから始めたそうです。
博文さん:前の会社は90年の歴史があって、高い技術力を持つ職人さんがたくさんいたので、「仕事を続けてください」とお願いしました。そして、7人の職人さんが残ってくださいました。でも、半年ほど全く仕事がなかった。みんなで工場の草抜きをしていましたね。同時に、「仕事をください」と必死に頭を下げて回りました。
佳代さん:私は自社ブランドを開発しました。「しあわせを織りなす」という意味を込めて、「OLSIA(オルシア)」と名付けました。自社のタオルができたものの、売り方がわからない。だから、「行きたいところに行こう」と考え、雑誌の「VERY」が主催するフェスに応募しました。当選した時はうれしかったですね。
博文さん:このフェスへの出店が転機になりました。
佳代さん:フェスで出会った方に手紙を書いてタオルをお渡ししました。そうしたら、ファッションショーに出ていたモデルさんたちがご自身のSNSで紹介してくださるようになり、出産祝いとして少しずつ売れるようになったんです。ありがたかったですね。
博文さん:妻の書いた手紙とタオルの気持ち良さが伝わったんです。どんな仕事もそうやと思うんですけど、伝わって初めて価値が生まれると実感しました。
佳代さん:うちのタオルは、70代の職人さんたちが一生懸命作っているんです。「こんなにいいものができるんやから、きちんと伝えんかったら、私たちが引き継がせてもらった意味がない」って、すごくギアが入りました。VERYフェスは、伝えることや伝わることってこういうことなんだと実感させてもらえた出来事でした。
「OLSIA(オルシア)」のPremium(プレミアム)シリーズは、とても甘く撚った糸でできています。そのため糸が切れやすく、生産には高い技術が必要です。「この糸で織り上げると、本当に柔らかくて、とても使い心地がいいんですよ」と博文さん。
タオルに関わり始めて40年あまりのベテラン職人さんです。「仕事中は厳しい目つきで向き合っていますが、いったん仕事を離れると、優しい笑顔でお話ししてくれるんです」と、職人さんの魅力について佳代さんが語ってくれました。
丹後には最新の設備や高速織機はありません。ですが、昔ながらの古き良き織機だからこそ、普通であれば切れてしまうような柔らかく細い糸を使って、ゆっくりと優しく織り上げることができるのです。一つひとつ、手をかけ愛をかけて、作っているのです。
お客様、地域の人たち、そして作り手。タオルでみんなの幸せを増やしたい
地元に恩返しをしたいという思いから始まったタオル作り。事業を承継してから手探りで続けてきたおふたりは、「すべてがご縁」だと話します。
博文さん:僕、どの仕事も2つの要素のどちらかでできてると思ってるんですよ。喜びの量を増やすか、困りごとを解決するか。使い心地が良かったり、色味がきれいなタオルは、喜びの量を増やします。納期が短いタオルをなんとかして作るのは、困りごとの解決。そして、お客さんから感謝の言葉を直接聞いたときの職人さんたちって、満面の笑顔になるんですよ。お客様だけでなく、作り手も幸せにしたいというのが、僕がこの仕事をする目的なんですよ。
佳代さん:私は子どもを産んでからタオルがすごく身近になりました。赤ちゃんは生まれた直後からタオルに包まれているでしょう? そして、タオルに触れない日って一日もないんです。そう考えると、タオルで人生を豊かにできるって思えるようになりました。働くママの一人として、毎日頑張っている女性をタオルで幸せにしたいんです。
博文さん:地域の幸せも増やしたいですね。いったん愛媛や今治を離れた若い人たちは、なかなか帰って来ません。新しい価値が生まれる街になったら、若者も帰って来るんやないかな。
佳代さん:雑誌に丹後のタオルが載った時、職人さんたちがとても喜んだんですよ。「自分たちのタオルって、こんなにいいものやったんや」って。私が消費者目線で商品の相談をすると、「こうしたらできるかも」とか「こっちの方が良くなるよ」と前向きに意見を言ってくれる。そんな作り手さんがいて、私たちは本当に幸せです。今治だけじゃなく、どの地域にもいろんな技術や産業があり、こんな風に頑張っている人がいると思うんです。そういう人たちにもっと光が当たったらいいなと思います。
丹後では2年前から若手育成に力を入れているそうです。「でも、職人さんたちの技術力が高すぎて、マニュアル化が難しいんです」と博文さん。技術継承のヒントを求め、コンクリート製品メーカーなど、他業種の現場を見学しているとか。
90年続いたタオル工場を受け継ぎ、職人さんたちとともに新たな歴史を刻んでいる博文さんと佳代さん。「まだ何もかも手探りです」と語るおふたりですが、これからも人を大切にする丹後らしいやり方で道を切り拓き、たくさんの人にタオルを通して幸せを運んでいくのでしょう。みなさんも、熟練の職人さんたちが想いを込めて丁寧に作ったタオルを、大切な誰かに、そして普段頑張っている自分のために贈ってみてはいかがでしょうか。
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