古事記の国生みの神話に由来する
麗しい名の「愛媛」は、
豊かな自然や文化にはぐくまれた
伝統的特産品の宝庫です。

本データベースでは、
こうした産品はもとより、
伝統を引き継ぎながらも、
新たな感性が吹き込まれた逸品など、
魅力あふれる商品の数々を
掲載しております。

これら愛媛の「すごモノ」が、
生活に潤いをもたらす一品として、
また、
贈答品や記念品などとして、
多くの皆様方に、
御利用、お取り扱い
いただけますことを心から願っています。

  • 今治タオル
  • 陶磁器
  • 真珠
  • 水引
  • 和紙
  • 菊間瓦
  • 桜井漆器
  • 伊予かすり
  • 野村シルク
  • 姫だるま
今治タオル

伊予木綿から始まり豊かな水と気候が育んだ今治タオルの物語

潮の流れの速い来島海峡に面している今治市周辺の海域は、かつて関西と九州を中継する海上交通の要衝であった。そのため多くの人や物が行き交っていたという。また温暖少雨な気候に恵まれており、江戸時代以降、盛んに栽培されるようになったのが綿。これを手機で織った白木綿は、「伊予木綿」の名で全国に送られた。だが、明治期になり大阪や兵庫の製品に押されたとき、矢や野七三郎が「伊予ネル」を開発。明治27年(1894)には阿部平助がタオル製造をスタート。明治43年(1910)には、麓常三郎が生産性の高い織機を開発し、明治末期には中村忠左衛門が先晒し先染め(糸の状態で染色して水に晒す)の技法を考案し、ジャカード織り機を導入した。色柄のバリエーションを増やしてデザイン性を高めたのである。
晒しや染め、糊抜きなどの各工程では多量の水を使用するが、今治には高縄山系を源流とする蒼社川が流れている。軟水で、金属イオンが少ない伏流水のおかげで柔らかな風合や鮮やかな色が表現できる。糸や生地を天日で乾燥できるのも追い風となった。
その後、タオルケットやタオルハンカチなど、今治タオルは商品のバリエーションが豊富になり、「日本一のタオル産地」として地位を確固たるものにした。
平成18年(2006)には、経済産業省の補助事業「JAPANブランド育成支援事業」の指定を受け、時代に合わせたブランディングを実施。「タオルソムリエ資格試験」の導入など新しい取り組みで、高品質のタオルを先進のデザインとともに発信している。
今治タオル
今治市
高縄半島に位置する陸地部と、芸予諸島の島しょ部からなる、瀬戸内海に恵まれた今治市。中世には村上水軍が活躍したことで知られ、大山祇神社や水軍城址などの歴史遺産も数多く残されている。瀬戸内の海上交通の要衝として古くから海運業が発達しているほか、緑豊かな山と美しい瀬戸内海という自然環境を生かして柑橘類の栽培や漁業も盛ん。桜井漆器や菊間瓦などの伝統産業も有名。
面積
419.13km2
総人口
158,114人
市の木
くすのき
市の花
つつじ
人工密度
377.2人/km2

(平成27年国勢調査)

タオルマフラーや衣類など、今治タオルから続々と新たな商品が誕生している

今治市にある瀬戸内しまなみ海道は、本州と四国を結ぶ海の道として多大貢献を果たしている

今治城にある矢野七三郎の銅像

2017年4月にリニューアルオープンした「今治タオル本店」

今治タオルブランドの品質検査実験や、タオルソムリエクイズができる「今治タオルLAB」

陶磁器

100軒余の窯元が伝統を守りつつも
新たな取り組みを展開

 「砥部焼」と聞いて誰もが思い浮かべるのが、白磁に藍の呉須染付で、唐草文や太陽文などの絵付けを施している碗や皿。日本を代表するこの磁器は、もともと陶器としてその歴史を刻み始めた。その名が初めて記録に残されたのは、元文5年(1740)にまとめられた「大洲秘録」だ。安永年間(1772~1781)には、大洲藩の方針により、土もの(陶器)から磁器へと移り変わった。良質の伊予砥を産出する砥部町において、砥石屑をうまく活用することで利益をあげようと考えたのだ。周辺の山並みに窯の燃料となる赤松が豊富に生い茂っており、なだらかな丘陵地は登窯の整備にぴったりの地形だ。これらの好条件を追い風に、磁器開発を命じられた杉野丈助は試行錯誤を繰り返し、安永6年(1777)に磁器焼成に成功した。
 その後、川登陶石の発掘や新たな窯の考案などにより、嘉永年間(1848~1855)には砥部町に10数軒の窯元ができあがっていた。この時代に生まれたのが、大坂淀川※の船上で営業する飲食店で重宝された「くらわんか茶碗」。
高台が広く持ちやすいため、安定感のない船上でもやすやすと食事がとれた。大正時代(1912~1926)にはアジア諸国に向けて輸出された「伊予ボウル」がヒットし、戦後は民藝運動に取り組んだ柳宗悦やバーナード・リーチらに見出され、そのアドバイスにより江戸時代に回帰して伝統のテイストを復活させた。そして今、若手作家、女性作家がどんどん増え、伝統を守りつつ、焼物の里に新たな風を吹かせている。

※大坂…明治初期まで、大阪は「大坂」と表していた

焼物のさと
砥部町
愛媛県の中央に位置し、香り高い文化と歴史が息づくまち。松山市のベッドタウンとして発展し、「とべ動物園」や「えひめこどもの城」など県の主要施設も存在する。森林資源や自然景観に恵まれており、北部では温暖な気候を利用したみかん、南部では山間地域の自然条件を生かした高原野菜やじねんじょの栽培が盛ん。仙波渓谷や権現山などの景勝地や清らかな水の源流では初夏にほたるも見られる。
面積
101.59km2
総人口
21,239人
町の木
クヌギ
町の花
ウメ
人工密度
209.1人/km2

(平成27年国勢調査)

陶板を敷き詰めた「陶板の道」は陶里の散策路

町内各所に砥部焼のオブジェを配置。まちそのものが砥部焼のミュージアムのよう

かつて一世を風靡した「くらわんか茶碗」

意欲的な作家たちにより、新たな砥部焼が生み出されている

明治時代に創業した梅山窯(梅野精陶所)には当時つくられたといわれる登窯が残されている

砥部の町並み。かつて使われていたレンガ造りの煙突が陶里らしい風情を漂わせる

真珠

独特の地形の恩恵で日本一の真珠産地となった伊達家ゆかりの城下町

 近世以降、南予の中心的都市として発展してきた宇和島市。かつて伊達家ゆかりの城下町として栄えた歴史の痕跡は、名城として知られる宇和島城をはじめ各所に残されている。一方、海へと目をやれば、宇和海に面してリアス式海岸による深い入り江が連続しており、明媚な景色を堪能することができる。この海の地形は、真珠養殖に適しており、明治40年(1907)に初めてアコヤ貝の購入事業が行われ、大正4年(1915)には真円真珠の養殖に成功した。以降、養殖業に乗り出す人々が増え、宇和島は押しも押されもせぬ真珠の一大養殖地へと成長した。昭和53年(1978)にはついに生産量日本一の偉業を達成。数だけではなく、その品質の高さからも国内外から注目を集めている。
 だが、ここまでの歩みは決して順風満帆だったわけではない。幾度となく自然災害などの被害により、真珠養殖が大きなダメージを受けたことがあった。しかし関係者たちは「日本を代表する生産地」としてのプライドを抱き、困難に立ち向かった。
現在は地域ぐるみで「真珠のまち宇和島」のブランディングに取り組んでおり、真珠をより身近なものに…との想いから、「パールビズ」運動と称し、真珠製品を身につけて仕事をすることで特産品をアピール。市役所から発信し、県内に広まりつつある。また結婚30年目を“真珠婚式”と呼ぶことにちなんで、「パール婚式」を開催し、全国の結婚30年目を迎えるご夫婦からラブレターを募集している。
 豊潤な宇和海から生まれた小さな真珠。その輝きは人々を魅了してやまない。
真珠のまち
宇和島市
愛媛県西南部に位置する宇和島市は、入り江と半島が複雑に交錯する、典型的なリアス式海岸が特徴。漁業の町として知られ、なかでも真珠やタイ、ハマチなどの養殖業は全国有数。海岸線に沿って広がる段々畑では柑橘栽培も盛んに行われている。また宇和島城下には天赦園、和霊神社など宇和島の歴史を感じられるスポットが点在しているほか、宇和島鯛めしやじゃこ天、さつまなどの郷土料理の名店も多い。
面積
468.16km2
総人口
77,465人
市の木
うばめがし
市の花
みかんの花
人工密度
165.5人/km2

(平成27年国勢調査)

アコヤ貝から取り出されたばかりの真珠。近年は貝の身や貝柱も食の名物となっている

宇和島市は生産地であるだけでなく、真珠加工の技術も高い

真珠の養殖風景

真珠の養殖風景

宇和島を中心とした南予の祭りに欠かせない牛鬼の頭部分。写真は和霊神社

市街地にそびえる宇和島城

水引

平安時代から受け継ぐ色とりどりの飾り紐

 四国中央市を中心に生産が盛んな水引。
こより状の和紙に水糊を引き乾燥させた飾り紐のことで、伊予の水引は平安時代の元結から始まったといわれている。
 水引がこの地方で発展した理由は、法皇山脈の山間で取れる和紙の原料となる楮と三椏、銅山川の豊富な水にあるという。
 現在は結納の水引細工はもちろん、ブローチ、髪飾りなど現代風のアレンジでも親しまれている。
水引
紙

四国中央市は日本一の紙のまち

 「書道ガールズ! !わたしたちの甲子園」として映画化され、「紙のまち」として有名になった四国中央市は、パルプ・紙・紙加工品製造業の製造品出荷額全国1位を誇る(平成28年経済センサス活動調査)。製紙メーカーから紙加工業者まで集まり、「紙製品なら、切手と紙幣以外は何でもつくれる」といわれるほど生産品目も多彩。高度な最先端技術を取り入れた製品も登場している。
紙
和紙

伝統の重みと人の手のあたたかみを
感じる

 愛媛県の三大和紙生産地は四国中央市と内子町、西条市周桑地区。なかでも四国中央市の「伊予手すき和紙」は200年余りの歴史があるとされ、明治中期には「伊予改良紙」が生まれた。一方、内子町をはじめとした「大洲和紙」は国の伝統的工芸品に指定され、平安時代の『延喜式』にその記録が見られる。全国の書道家に愛される書道半紙ほか、多彩な和紙を生産し続けている。
和紙
菊間瓦

世界に誇る美しきいぶし銀の輝き

 約750年前の鎌倉期に製造が始まったと伝えられる菊間瓦。産地である今治市菊間町は温暖で雨が少なく、瓦の自然乾燥に適していたこと、原料の粘土や燃料の松材に恵まれていたこと、輸送のための船便が便利だったことなどにより大きく発展した。いぶし銀に輝くことから「いぶし瓦」と呼ばれ、優雅高尚、堅牢さで全国の一般住宅から神社仏閣まで多数使われている。
菊間瓦
桜井漆器

使えば使うほど艶の出る伝統工芸品

 今治市桜井地方で製造が始まった桜井漆器。その歴史は約250年前に遡るといわれ、手頃な価格で質のいいものが購入できると人気が集まり、今も昔も多くの人から親しまれている。技術の発達とともに沈金、蒔絵等の技法を高めた。現在は椀や盆など定番の食器のみならず、子どもの誕生に合わせた足型パネル、アートなクリスタル製品など幅広い商品展開を行っている。
桜井漆器
伊予かすり

紺と白の織りが美しい日本三大かすりの一つ

 松山市で製造されている伊予かすりは、日本三大かすりの一つ。江戸時代後期が始まりとされ、鍵谷カナという女性が農作業の合間をみて紡いでいたという。明治時代に入ると織機の改良も進み、生産量も増えて全国的に人気が高まった。藍の風合いを大切にしており、代表的な柄は井桁や十字、玉文様、麻文様など。いずれもシンプルで、紺と白のコントラストが柄を引き立てる。
伊予かすり
野村シルク

格式高い伊勢神宮の式年遷宮御用糸

 古くから畜産と養蚕で栄えてきた中山間地域の西予市野村町。カイコの繭から生糸(絹糸)をつくる養蚕は明治初期に始まった。養蚕農家はカイコを5~11月頃まで育て、繭を収穫。カイコはデリケートな生き物なので、病気にならないように細心の注意を払うという。野村シルクは能装束の復元にも使われており、伊勢神宮で20年に一度行われる式年遷宮の御用生糸でもある。
野村シルク
姫だるま

愛媛を代表する愛らしい郷土玩具

 4世紀の頃、神功皇后が道後温泉にしばらくご滞在になった折、応神天皇をご懐妊された。その応神天皇の真紅のまわた包みの可憐な様子を記念として追想し、優雅な姫だるまがつくられたのが起源。木彫りから張子姫だるまへ、そしてリリアンの糸を使った糸かけ姫だるま、金らん姫だるまと、ふくよかな形はそのままに、工夫を凝らした人形が次々と生み出されている。
姫だるま